『黄金のレガシー』を、トライヨラ王家から読む

余話とあとがき
余話とあとがき

おまけ オケコンの話

ここまで読んでくれてありがとう。

実はこの記事、もともとは7.4リリースの感想として書き始めたんだよ。書いているうちにオケコンにも行って、「どうせならオケコンの感想も一緒に載せよう」と思っていたんだけど、書いてるうちに本編と補遺がここまで膨らんでしまった。

オケコンの話は、もう新しい記事にするほどの分量でもないし、せっかくだからこの長文の末尾に置いておきたい。読み飛ばしてもらっても大丈夫です。

2025年12月、FF14のオーケストラコンサートに行ってきた。

新生からずっとプレイしてきたけれど、今回の黄金のレガシーは自分にとって一番思い入れのある拡張だ。なんとしても行きたくて抽選に挑むも、結果は全落ち。先着でも負けて絶望していたところに、奇跡的に同行させてくれる方が現れて、滑り込みで観ることができた。

しかも用意してもらった席が、2列目のセンブロというド真ん中。登壇者の表情までしっかり見える神席だった。本当にありがたかった。

前回のプライマルズ武道館ライブでも痛バを持っていったけど、今回はSMILEをやるのがわかっていたから作り直した。

オケコンなのにネムボまで作ってしまったよ。

まさかFF14のキャラで作る日が来るとはね。爪もゾラージャの女仕様に仕上げて挑んだ。

前回のオケコン(ガーデンシアター)も、かなり前方ではあったけどサイドだったせいか、音響に少し心残りがあった。オケ自体は近いんだけど、壁のスピーカーからの音が強くて「機械音だな」と感じてしまったのが残念だった。

でも今回は、会場もよくなったし、何より2列目ドセン。むしろ前過ぎてダイレクトだったけど、オケの生音を全身に浴びることができて本当によかった。それでもマイクが多いなとは感じたから、他の席はどんな感じだったんだろう。FF14の音楽はプレイヤーの贔屓目を抜きにしても素晴らしいから、もっと本格的なホールでやってほしいと思う。チケ代が高くてもいいから、いつかガチの環境で聴きたいよ。

なんなら舞台化も待っている。FF16の宝塚が中止になってしまったのが本当に悲しいから、FF14でもやらないかな?私は22年雪組『蒼穹の昴』みたいな、恋愛要素なし一本物の硬派な芝居が好きだから、ずっと期待してます。

オケコンの話に戻ろう。

演奏の内容については、もう「良かった」としか言えないくらい圧倒されました。上手く言葉にできなくてごめん。あと演出面では、バックで流れるムービーの作り込みが本当にすごかった。あの壮大な音楽に、当時の思い出の映像が重なってくるんだからずるいよね。当時のプレイ体験が一気にフラッシュバックしてきて、思わず大泣きしてしまったよ。

でも一番泣いたのは、やっぱりSMILEだったと思う。

私はこの曲が本当に好きなんだよ。最初は「ディズニー映画のハッピーエンドみたいな曲だな」くらいの感想だった。でも、歌詞を知ってからがこの曲の本番だったんだよね。

序盤のあの暗い歌詞は、もうゾラージャのことだとしか思えない。少なくとも私はそう受け取った。そして、みんなで手を取り合ってハッピーエンドに向かっていくけど、そこに彼はいない。

黄金のテーマは「知る」こと。絆を結ぶために、相手を知り、自分を知ってもらう。その一歩を踏み出すことの大切さが語られた物語だった。

でもゾラージャは、その完全なアンチテーゼだった。誰のことも知ろうとせず、誰にも自分を知ってもらおうとせず、家族とすら絆を結べないまま、孤独に道を踏み外していった。

だからこそ、彼が選ばなかった——というより選べなかった——そんな路を歩むラマチたちが明るく輝くほど、彼の落とす影は濃く、深くなっていく。

ラマチたちの笑顔を見て「良かったね」と思う温かい気持ちと、どうしようもなく暗くて悲しい気持ち。SMILEを聴くと泣けるのは、これが「手を取り合う強さを持った者たち」の歌だからだ。

悲しくなるけど、やっぱり黄金といえばこの曲。だから、あの場所で聴くことができて、本当に良かった。

実家のような安心感で12年も続けてきたゲームなのに、まさかここまで自分の人生を狂わせるキャラと出会う日が来るなんてね。ROM専だった私が同人誌を描き始めたり、あんなに苦手だった爬虫類がすっかり好きになってしまったり。私のすべてをここまで変えてしまった大好きなキャラの曲を、現地の生の音で聴けるチャンスなんて、何があっても逃すわけにはいかなかったんだ。

だから、あの空間であの曲を聴くことができたのは、私にとって本当に幸せな体験でした。自分の人生をひっくり返してくれるようなキャラに、そしてこんなに素晴らしい音楽に出会えてよかった。

黄金オケコン、最高の思い出をありがとうございました!

おまけ ヒカセン展の話

オケコンの感動を綴ったあとに、対極のテンションで申し訳ないんだけど、もうひとつ書いておきたいことがある。

数日後に行く予定のヒカセン展、そのグッズへの個人的な愚痴。本当にただの愚痴です。気分のいいまま記事を閉じたい方は、ここで戻るボタンを押してください。

グッズの内容にどうしても納得できない部分があるから、少し書かせてほしい。

引っかかっているのが「ストーリーTシャツ」。

各拡張パッチのストーリーのハイライトシーンが、大コマと小コマで構成されたデザインのTシャツだ。大コマには、その拡張の顔と言えるキャラクター。小コマには、活躍した仲間や敵のキャラクター、拡張を象徴する背景やモチーフなどが入る。

問題は、黄金だ。

ヒカセン展のグッズページで見てもらうのが早いと思う。

▼ 参考リンク(外部サイト) ファイナルファンタジーXIV 10周年記念展示『FANTASY x DIORAMA』公式グッズページ

まず、大コマがクルルとスフェーンになっている。あんなに黄金の主役ポジだったラマチじゃなくて、クルルが選ばれているんだ。

クルルの話も展開されたとはいえ、黄金といえばやっぱりラマチだろう、と思ってしまう。なによりストーリー的に考えて、スフェーンの対にはラマチしかいないはずだ。私はクルルが嫌いなわけでも、ラマチが推しなわけでもない。でも、あれだけ主役ポジに居たキャラが小コマになっているのは、解釈違いだ。

ネット上でのラマチの不人気を見て、運営が日和ったように見えてしまう——というのは、私の邪推かもしれない。でも、他の拡張は納得できる選出なのに、黄金だけがそう見えてしまうんだよね。

そしてもうひとつ、ゾラージャがいない。

黄金の「知る」というテーマの完全なアンチテーゼとして物語を背負った男が、なぜいない?

アルパカや機械兵よりも軽い扱いって、どういうことだろう。彼は黄金を象徴するキャラのひとりであるはずだ。拡張パッケージのキービジュアル「黄金の群像」にも、最前面でラマチと対になって描かれているほどの大役だ。そんな彼が、アルパカや機械兵以下?

そもそも背景やモチーフを入れる小コマ枠は、他の拡張だと0〜2枚なのに、黄金だけ3枚もある。その3枚が「黄金郷の扉」「アルパカ」「機械兵」だ。「黄金郷の扉」については納得できる。でも残りの2枚に関しては、ゾラージャを差し置いてまで選ぶ理由が、私にはまったくわからない。

正直に言うと、私がここまで怒っているのは、このTシャツのデザインそのものよりもむしろ、「これを公式がOKとして通したこと」に対してなんだ。

黄金のレガシーというストーリーへのリスペクトが感じられない商品が、「公式グッズ」として世に出てきた。それを誰も止めずに通したということは、公式がこのキャラの扱いを「これでいい」と承認したように見えてしまう。本当に監修しているのか、と疑いたくなる。もしかしたら、していないのかもしれない。

たとえ外注制作のグッズだったとしても、「公式グッズ」として出されている以上、ファンから見ればそれは公式のものとして受け取るしかない。だからこそ、公式として世に出す以上は、もう少し監修やキャラの扱いを大事にしてほしかった、というのが本音だ。

ついでに言うと、国旗メタルキーホルダーからトライヨラがハブられているのも、よくわからなかった。まあこれについては、クガネやラザハンも入っていないから、強くは責めないでおく。なんで入ってないんだろうね。

グッズ公開時の私の憤慨ぶりは、こちらのポストを見てもらえれば伝わると思う。

——とはいえ、こういう選出は、ビジネスとして考えれば合理的な判断なんだと思う。不人気なキャラを大々的に押し出さず、人気のあるキャラを前に出す。グッズの売上を考えれば、当然の戦略だ。

それを「日和った」と受け取ってしまうのは、たぶん私が黄金に肩入れしている側の人間だから。世間の黄金評価の低さを前にして、複雑な気持ちを抱えてしまっている自覚はある。

サンプル画像には「開発中のものです」と注釈があるし、もしかしたらという淡い期待もある。それに、サンプル画像通りのデザインだったとしても、結局私は黄金Tシャツを買うんだよ。だって、グルージャの初グッズだからね。

複雑な気持ちではあるけど、ヒカセン展自体は楽しみにしている。

最後に

ここまで読んでくれて、本当にありがとう。

実はこの記事の中で、もうひとつだけ書き残していることがあった。今年1月にこんなツイートをしたんだよね。

このツイートと同じ内容を書くつもりだったんだけど、結局書けなかった。というか、実は去年の8月の時点で、同じ内容をすでにXに投稿しているんだよね。

しかも同じ内容をnoteにもまとめていたから、今回の記事に改めて書く必要性がないかなと思って削ったんだ。

でも、ツイートのURLを貼って「これと同じです」で終わるのも不親切だから、簡単に文章として書き直して、ここに置いておきたい。

▼ プレイヤーである私たち自身が、物語の登場人物だった

ゾラージャは誰かに自分を知ってもらおうとしなかった男だ。だから彼に関する描写が少ないのは、考えてみれば当然のことだと思える。彼自身が、それを拒絶しているんだから。

それでも、私たちプレイヤーが「彼を知りたい」と思って一歩踏み込んで、彼の言動や周囲の証言をひとつひとつ拾い集めていけば、わずかでも彼の想いを感じることができる。

逆に、ラマチやコーナのように彼を知ろうと踏み込まなければ、「あいつは何をしたいのか分からない悪役でした」で終わってしまう物語にもなる。

ここで私が個人的に感じているのは——この作品、プレイヤーがどう向き合うかで、見え方が大きく変わる作りになっているな、ということ。少なくとも私の体験ではそうだった。私だって最初はゾラージャのことがよく分からなかった。でも「もっと知りたい」と思って踏み込んでみたら、彼の輪郭がだんだん見えてきた。

その体験が、私の中ですごく面白く繋がって見えたんだよね。物語の中でゾラージャを知ろうとしなかったラマチと、物語の外でゾラージャを知ろうとしないプレイヤーは、結果的に同じ立ち位置にいるのかもしれない、とね。 もちろん「描写不足」という批判が出るのは、わかる。私だってもっとゾラージャのことが描かれていてほしかった、と思う気持ちはある。それを否定はしない。

ただ私個人としては、この描写の少なさを「知ること」というテーマと噛み合ったものとして受け取ると、作品がもっと楽しくなる気がしている。制作者がそこまで考えていたかどうかはわからない。たまたまそう見えるだけかもしれない。でも、たまたまだとしても、そう読める瞬間があるのが楽しいんだよね。だって、作品を読んでそれをどう解釈するのかは、私たち読み手の自由なんだから。

——というわけで、これでようやく、本当に書き終わった。

本当はね、ここまで書くつもりじゃなかったんだよ。7.4の感想文を軽く書いて出すだけのつもりが、書いているうちに止まらなくなって、気がついたらこの分量になっていた。

なぜこんなに時間がかかったのかというと、もうひとつ理由がある。去年はじめて同人誌というものを描いたばかりの人間が、いきなりアンソロジーとプチオンリーの主催まで決意してしまったからだ。

その準備に加えて、4月のけもケットに出す新刊も描いていたから、いろいろやることがあって、なかなか文章を書いている時間が取れなかった。でも流石に7.5が来てからは急いで書いたよ。

人生初同人を書いた話はこのnoteに書いてる。よかったら読んでみてね。

主催した感想も、イベントが無事に終わったら書こうかなと思っている。

もう当日の朝なんだけど、ヒカセンバザール3.0にサークル参加するから、それまでには——と目標にしていたので、間に合ってよかった。これで気持ちよくイベントに参加できるね。

ちなみに、この記事が書き終わるまで7.5はプレイしない縛りを課していたから、私はまだ7.5がリリースされてからFF14にログインできていない。だからサレージャあたりの私の解釈とか、もしかしたら7.5プレイ済みの人が読んだら、とんだ見当違いなことを書いているのかもしれない。ネタバレ自衛のためにSNSも見ないようにしていたから、これでようやく堂々と見られるようになる。嬉しいね。

それにしても、長文になったな。7.0の感想文も長かったけど、それでも5万6000字くらいだった。今回はここまでで13万6000字ある。もう自分で読み返して校正するのもつらい長さだよ。内容が重複している箇所がある自覚もある。読みづらかったらごめん。

でもここまで書いたんだから、文章を直して黄金感想本として出してもいいかもね。5部くらいで。考察本というものを読んだことがないから、どのくらいが適量か分からないけど、今回の内容と、これまで書いてきた感想や、Xまとめ系の記事を文章に直して整えたら、本にはなりそうかな。前まではキャラ名を専ニクで書いていたから読みづらいだろうし、全体を整えて出したいね。

でも、今年の黄金秘話で絶対にゾラージャの話が来ると信じているから、それを読んでからの判断になる。何が来るんだろうか。楽しみだね……。

今回アンソロを主催したおかげで小説の組版もできるようになったから、文字だけの本も作れる。何ごともチャレンジしてみるものだね。

そして、このチャレンジのすべてのきっかけは、黄金のレガシーだった。

不評だろうが何だろうが、私の運命の推しがこの作品から生まれた——ただそれだけで、もう私にとっては最高の神ゲーなんだよ。

こんなに長い文章を書いてしまったのも、結局は、これを誰かに伝えたかったから。伝わらなくてもいい。でも、伝えずにはいられなかったんだ。

本当に、最高のゲームをありがとう。

追記 いただいた感想について

公開後、読んでくれた方から鋭い感想をいただいた。

「コーナにとって、サンクレッドとウリエンジェが、旅の中で実質的な母(父)の役割を担っていたのではないか」

これは、確かにそうだと思う。漆黒でリーンの保護者役が板についていたあのふたりは、継承の儀でも、絆の結び方に迷うコーナに「まず相手に自分を知ってもらえ」と助言して、彼を導いていた。弱みを聞き、進むべき道を示す。まさに、旅の中で母のように寄り添う存在だった。

ただ、ひとつ補足したい。本編で書いた「自己の土台(無条件に肯定された経験)」は、もっと幼い時期に育つものだ。成人したコーナが旅先で出会ったふたりは、その土台を作った存在とは、そもそも時期が違う。

じゃあ、孤児だったコーナの土台は、どこで育ったんだろう。

コーナは商人に拾われ、自分の才覚で生き抜いて、やがて連王に見出された。そういう生い立ちを考えると、彼はもともと持ち前の資質に恵まれていて、拾われた先の環境にも恵まれていたんだと思う。世の中には、過酷な生い立ちでも立派に育つ人がいる。本編でバクージャジャやウクラマトと、母のいかったゾラージャを並べて、土台の話を書いた。でもそれは「母がいなければ必ず土台が育たない」という決定論じゃない。コーナはまさに、母的な存在がいなくても、環境と資質で自力で土台を築けた人だったんじゃないかな。

これは完全に私の想像だけど、もうひとつ思うことがある。コーナは、後から来た幼いウクラマトを溺愛していたよね。もしかしたら彼は、ウクラマトの母代わりのように世話をすることで、自己肯定感を育てていたのかもしれない。誰かに肯定されるんじゃなく、誰かを守り、肯定する側に回る。そうやって自分の居場所を確かめていた、というふうにね。

そうして自力で土台を築いて立っていたコーナを、旅の中でさらに導いてくれたのが、サンクレッドとウリエンジェだった。土台はコーナ自身のもの、旅での導き手はあのふたり。そう整理すると、すごく腑に落ちる。

そしてもうひとつ、付け加えたいことがある。コーナがあの継承の儀という短い期間で、連王の理想通りに成長できたのは、ふたりの支えがあったからだけじゃないと思う。継承の儀そのものが、ちゃんと「コーナのためのカリキュラム」として機能したことも、大きかったんじゃないかな。

理王は継承の儀を、子どもたちそれぞれの「足りないもの」に気づかせるための旅として組んでいた。コーナには「文化の尊重」をね。彼に合ったかたちで気づきを促せたのは、グルージャジャがコーナとちゃんと対話できていて、彼に何が必要かを正しく把握できていたからだ。

素敵な気づきをくれて、ありがとう。