ゾラージャの母は誰なのか
黄金のレガシーをクリアした人なら、一度は引っかかったんじゃないかな。ゾラージャの母って、結局、誰だったんだろう。
第一王子でありながら、彼の母は物語のどこにも出てこない。名前も、姿も、記録すらもない。少し前にこの「ゾラージャの母は誰?」って話題をTLで見かけて、私も改めて考えてみたくなった。
先に言っておくと、この記事は全部、ただの妄想だ。公式設定じゃないし、「単に描かれなかっただけ」って可能性も普通にある。でも、それでも考えたくなる余白があるんだよね。私の結論はもう決まっていて——ゾラージャの母は、隠されていたんじゃない。そもそも最初から、存在しなかった。産んだのは、母なる女性じゃなく、父グルージャジャその人だったんじゃないか、と思ってる。
なんでそう考えるのか。順番に書いていくね。
ちなみに私はちょっと前、ゾラージャについて、かなり長い記事を書いた。その記事でも出生についてちょっとだけ触れているんだけど、今回はそこを深掘りして、一部は考えを見直している。だから出生については、今回のこの記事のほうが、私の新しい考えになる。
もし「ゾラージャというキャラをもっと深く知りたい」と思ってくれたなら、派生元の記事も読んでもらえると嬉しい。今回の出生の話とも地続きになっているから。
▼ 派生元の「本編」記事はこちら ▼
『黄金のレガシー』を、トライヨラ王家から読む (1/4) ゾラージャの歩み、理王が仕掛けた「継承の儀」という更生プログラムの真意など、トライヨラ王家についてさらに深く掘り下げた本編記事です。▼ 元のnote記事 ▼
とはいえ、この記事はこの記事だけで読めるように、書いていくつもり。
じゃあ、本題に入ろう。
1. まず、母がいなさすぎる
出発点は、シンプルな違和感だ。ゾラージャの母の痕跡が、あまりにも無い。
第一王子の母だよ。普通なら、何かしら残るはずなんだ。名前とか、肖像とか、「あの方は今どうしている」という民の噂とか。でも、ほんとうに何もない。もし母がいたなら、いろいろ不自然なんだよね。王妃として王宮にいればいいし、表に出たくないなら、「王妃はいるが公の場には出ない」と存在だけ知らせておけばいい。亡くなったのなら、そう伝えればいい。それすらないって、どういうことなんだろう。
この不自然さは、他のキャラと比べるともっと際立つ。たとえば妹のウクラマト。彼女には、乳母ナミーカという母のような存在が、繰り返し丁寧に描かれる。ゾラージャの対極に置かれた彼女に、あれだけ母の愛情が与えられているのに、ゾラージャには何もない。
もうひとりいる。バクージャジャだ。彼も同じマムージャ族で、マムークの因習の中で育った、ゾラージャと境遇の近い人物だよね。その彼にも、ミーラジャという母がちゃんといる。失敗して落ち込む息子に寄り添う母親として、その存在はしっかり描かれている。
対極のキャラにも、境遇の近いキャラにも、母がいる。なのに、ゾラージャにだけ、それがない。この徹底した空白は、もう「たまたま描かれなかった」では説明しきれない気がするんだ。何か、母を描けない理由があったんじゃないか——そう考えるところから、この話は始まる。
2. そもそも、双頭とは何なのか
ゾラージャの出生を考えるには、まず父グルージャジャのことを知らなきゃいけない。彼は「双頭」——ひとつの体に、ふたつの頭を持つ存在だ。
マムークの人々は、この双頭を「祝福の兄弟」と呼んで、王に戴き、神のように崇めていた。なぜ、それほどまでに双頭を求めたのか。
その理由は、彼らの暮らす土地にある。マムークは、日の光も届かない深い森の底の、貧しい土地だ。実りの少ないこの土地を抜け出そうと、彼らは日の当たる上の森へ戦いを挑んだ。でも、高地に陣取るシュバラール族のほうに地の利があって、戦況は長く膠着していた。
しかも当時のマムージャは、フビゴ族・ブネワ族・ドプロ族の三部族がまとまらず、戦場でさえ手柄を奪い合うような有様だったという。このあたりの経緯は、ウケブが語ってくれたよね。
転機は、思わぬかたちで訪れた。三部族の結束を強めようと、フビゴ族とブネワ族のあいだで政略結婚が結ばれた。その婚姻から、それまで生まれるはずがないと思われていた双頭が、偶然生まれてきたんだ。
桁違いに強いその双頭は、劣勢だった戦争を一気に押し返し、やがて三部族を束ねる王となった。バラバラだった一族を、文字どおりひとつにまとめた存在——それが、最初の双頭だった。
暗い森に閉じ込められてきた人々にとって、双頭は、ただの強い戦士じゃなかった。分かれていた自分たちをひとつに束ね、勝利へ導き、この暗い森の外——日の当たる世界へ連れ出してくれる、希望そのものだったんだ。
だから人々は、あの偶然をもう一度と願うようになる。異なる部族を掛け合わせれば、また双頭が生まれるかもしれない。それが、双血の教えだ。
でも、双頭が生まれる確率は、あまりにも低い。求めても求めても、生まれてくるのは孵らない卵ばかり。おびただしい数の犠牲の上に、双頭はようやくひとつ生まれてくる。それでも人々は、双頭を求めることをやめなかった。それだけ、双頭という希望は切実だったんだ。
そして、ここが重要なんだけど——そうまでして求められる双頭は、「子を成せない」というのが作中の通説だ。これはエレンヴィルが、はっきりそう説明している。
だからこそ、ゾラージャは「奇跡の子」と呼ばれた。子を成せないはずの双頭グルージャジャに、子が生まれた。それ自体が奇跡だったからだ。
もうひとつ、グルージャジャの身体について触れておきたい。彼は、通常のマムージャとは、見た目からしてかなり違う。あの規格外の巨体。通常とは異なる指の数。巨大な鶏冠。消えてしまった角。そして、ふたつの頭。言葉を選ばずに言えば、双頭って、生物としては「奇形」なんだよね。通常の個体とは、体のつくりそのものが違う。この「体のつくりが特殊」という点は、あとで大事になるから、覚えておいてほしい。
さて。双頭は子を成せない。なのに、グルージャジャには子ができた。じゃあ、どうやって?——その謎を解く前に、もう少しだけ寄り道をさせてほしい。次は、そもそも「マムージャ族とは何者なのか」という話だ。
3. マムージャは、たぶん「哺乳類」だ
グルージャジャの出産方法を考える前に、どうしても確かめておきたいことがある。そもそもマムージャ族って、生き物として何者なんだろう、という話だ。
見た目だけなら、彼らは完全にトカゲだ。鱗があって、卵で生まれる。いかにも爬虫類、って感じだよね。でも私は、彼らの中身は、かなり哺乳類寄りなんじゃないかと思ってる。
根拠はいくつかある。まず、マムージャは汗をかく。それに、雲より高いウォーコーゾーモーの山道を、ゾラージャは平然と登っていったよね。あの高さなら、相当に冷えるはずだ。
もっと言うと——これはゲームのシステム上の話だから、ちょっとずるいかもしれないけど。ヴァリガルマンダ戦で氷フェーズがあるよね。あのとき、ゾラージャは雪原のなかを変わらず走り回っていた。
これって爬虫類にはできないことなんだよね。爬虫類は変温動物だから、外が寒いと体が冷えて動きが鈍くなる。汗をかいて体温を調節できて、寒さの中でも動けるっていうのは、自分で体温を保てる恒温動物——つまり哺乳類的な体のつくりをしている証拠だと思う。
それに、マムージャの赤ちゃんは、何度も泣いて母親を寝不足にする、っていう描写がある。これも地味に大きい。爬虫類は基本、産みっぱなしで子育てをしない。夜中に子が泣いて、親が起きて世話をする——これは、親がつきっきりで、泣き声に応えながら母乳を与える、私たち人間などの哺乳類に見られる密接な子育てのかたちなんだよね。
卵で生まれるのに哺乳類なんて変かな、と思うかもしれないけど、現実にもそんな動物がいるよね。カモノハシやハリモグラだ。彼らは卵を産むのに、ちゃんと母乳で子を育てる、れっきとした哺乳類。マムージャも、それと同じ「卵生の哺乳類」なんじゃないかな。
ついでに、これはかなり妄想寄りの余談なんだけど——マムージャのNPCが着ている布の服、あれって横に大きなスリットが入っていて、体がかなり見えているんだよね。しかも、オスはその下がほぼ裸なのに、メスだけはブラのような下着で、しっかり胸元を隠している。
同じ獣人種族でも、メスが上半身を隠さないデザインは普通にある。なのにマムージャの女性は、わざわざそこを覆っている。もし彼女たちに、夜泣きする赤ちゃんに乳を与えるための「授乳器官」があるなら、それを隠しているのかもしれない。まあ、これは完全に想像だけどね。
(ちなみに、FF14の獣人種族の大半は、オスとメスで胸元のグラフィックに差がない。はっきり差があるのはマムージャ族とアルカソーダラ族くらい。そのアルカソーダラ族は象モチーフ=ほぼ哺乳類だから、メスが胸を隠すのも納得で、だとしたらマムージャも同じなんじゃないか、と思えてくる。……とはいえ、この二種はどちらも人の都市で多く暮らす種族だから、人のマナーに合わせて服を着てるだけ、とも考えられる。あるいは、単にメインストーリーに深く関わるぶん作り込まれただけ、なのかもしれないけどね。)
で、なんでこんな話をしたかというと。マムージャが哺乳類的な生き物だとすると、次の章で話す「グルージャジャがどうやって子を産んだのか」に、ひとつの補助線が引けるからなんだ。
生き物の性別って、性染色体の組み合わせで決まる。人間みたいな哺乳類は「XY型」で、鳥は「ZW型」といって、タイプが違う。この違いが、あとで出てくる説のひとつに関わってくるんだ。
……前置きが長くなっちゃった。じゃあ本題に行こう。
4. グルージャジャは、どうやって子を産んだのか
結論は最初に書いたとおり、私は「グルージャジャ自身がゾラージャを産んだ」と思ってる。そう考えると、必然的にひとつ言えることがある。グルージャジャは、見た目も生き方も男性として振る舞っているけど、その体の内側には、子を宿して産むための——女性としての機能も、持っていたことになる。いわゆる両性具有だ。ここは完全に妄想だけど、「彼が産んだ」と考えるなら、そうならざるを得ないんだよね。
そして、これはそこまで無茶な想像でもないと思う。さっき「あとで大事になる」と言った、双頭の身体の特殊さを思い出してほしい。双頭は、体のつくりそのものが通常の個体と違う「奇形」だった。ふたつの頭を持つほど特殊な体なら、生殖のかたちだって普通とは違っていた——そう考えるのは、そんなに飛躍じゃないよね。
もちろん、双頭がみんな両性具有だ、なんて言うつもりはない。バクージャジャやモラージャジャがそうだったかは分からないし、そんな描写もない。(そもそも作中の双頭は、この三人だけ。全員男性で、女性の双頭は一人も出てこない。過去にいたのかどうかも分からない。)これはあくまで、「グルージャジャという一人の個体が、たまたまそういう体だったんじゃないか」っていう、私の妄想だ。
それにしても、と思う。グルージャジャって、どれだけの偶然を掴んだ存在なんだろう。
フビゴ族とブネワ族の間に、ごくまれにしか生まれない双頭として生まれ、しかもその双頭のほとんどが孵ることさえない狭き門をくぐった。そのうえで、子を成せないはずの双頭でありながら、両性具有という、さらに稀な体を持っていた。さらにその体の中でも、実際に子を宿せる機能まで備えていた。そして最後に、その機能で、ゾラージャを産み落とした。
稀の上に、稀。その上にまた、稀。とんでもない確率を何重にもくぐり抜けた果てに、ゾラージャは生まれてきたことになる。
こう考えると、ちょっと皮肉なものだよね。もちろん、ゾラージャの誕生そのものが奇跡なのは間違いない。でも、その奇跡を成立させた確率のほとんどは、父グルージャジャが一身に引き当てたものでもあったんだ。
なのに「奇跡の子」という名前を背負わされ、その名前に一生苦しめられたのは、息子のほうだった。
さて。両性具有のグルージャジャが、自分の体でゾラージャを産んだ。そこまではいい。じゃあ、具体的にどうやって?ここについて、私は二つの可能性を考えてる。ひとつは生物学から考えた説、もうひとつは神話から考えた説だ。正直に先に言っておくと、私の本命は後者のほうなんだけど、順番に話していくね。
説A:誰かに抱かれて産んだ(生物学から考えた説)
まず、生物学っぽい話から。
双頭は、フビゴ族とブネワ族という異なる部族の交わりから生まれる。異なる種を掛け合わせて生まれた雑種には、生物学上の有名な法則があるんだ。「ホールデインの法則」というものだ。
これは何かというと——異種の雑種は、片方の性が不妊になりやすい、という法則。もう少し正確に言うと、「異型配偶子」を持つほうの性に、強く異常が現れる。そしてどちらの性がそれにあたるかは、生き物のタイプによって変わる。人間のような哺乳類は「XY型」で、この場合はオスのほうが不妊になりやすい。鳥のような「ZW型」なら、逆にメスのほうだ。
有名なのがラバ(馬とロバの雑種)だよね。ラバは基本的にオス(XY)もメス(XX)も子を成せない。ただ、ごくまれに、メスの個体だけ妊性を示した記録がある。逆に、オスが子をなした確実な記録は、今のところ一件もないらしい。
そして、その「ごくまれ」がどれくらいかというと——確率でいえば、99.999……%が不妊、という天文学的な低さだ。
ここで、さっきの「マムージャは哺乳類なんじゃないか」という話が効いてくる。汗をかき、寒さの中でも動き、子に乳を与えて育てる彼らが哺乳類だとすれば、その性染色体は「XY型」ということになる。つまり、不妊になるのはオスのほうだ。
双頭も、異なる部族の血が交わって生まれる、いわば雑種的な存在だ。だとしたら同じように、オスとしての生殖機能を持たないのかもしれない。もしそうなら、「双頭は子を成せない」という通説にも説明がつく。
でも、ラバのメスにまれに妊性を持つ個体がいるように、双頭にも例外がいた。それがグルージャジャだった。男性としての機能では子を成せなくても、両性具有の彼には、女性としての機能が残っていた。だとすれば——彼は誰か男性に抱かれて、女性としての機能で、ゾラージャを産んだ。そういう可能性が出てくる。
(ちなみに、じゃあ女性の双頭がいたら産めたんじゃないの?とも思うけど、たぶんそれも無理なんじゃないかな。ラバのメスもほぼ全てが不妊なのと同じで、双頭も基本は子を成せない存在なんだから。グルージャジャは、あくまで例外中の例外だと思う。)
そういう話であれば、グルージャジャが相手を隠したのは「男性である連王が、男性に抱かれて子を産んだ。それが王としての体面に関わるから、生まれ方を隠したんじゃないか」って考えも出てくる。
でも私は、それはちょっと違うと思ってる。トライヨラって、いろんな部族が手を取り合って生まれた多民族国家で、価値観もかなりおおらかなんだよね。そういう国なら、この形の出産も、案外すんなり受け入れられたんじゃないかな。(トライヨラって、いかにも「多様性を大事にする国」として描かれてるしね。)
……ただ、この説には、けっこう大きな弱点がある。
もし相手の男性がいたのなら、その人はどこへ消えたんだろう、ってことだ。
考えてみてほしい。連王が子を宿したのなら、その相手は「王の伴侶」ということになる。国家的な存在だよ。それが記録に一行も残らず、噂にすらならないなんて、隠蔽としてもあまりに不自然なんだよね。ゾラージャの母の痕跡がないのと、まったく同じ問題が、相手の男性についても起きてしまう。
だから私は、この説Aを「こういう可能性もあるよね」という補欠くらいのつもりで置いている。そして、この弱点——「相手がいるはずなのに、いない」を、まるごと解決してしまうのが、次の本命の説なんだ。
説B:ひとりで産んだ(神話から考えた説)
(この説では、説Aの「オスとしての機能は不妊」という前提は採らない。ファンタジーな存在なんだから、雌雄両方の機能が生きていたっておかしくない、と考えるね。)
もうひとつの説は、こうだ。グルージャジャは、誰の力も借りず、たった一人でゾラージャを産んだ。両性具有の体の中で、自分の精と自分の卵を受精させて。いわゆる自家受精、単為生殖というやつだ。
そんな馬鹿な、と思うよね。生物学的には無茶な話だ。だからまず、「そんなことがありうるのか」という話から始めたい。
マムークがモチーフにしているのは、現実のマヤ・アステカ文明だ。天深きセノーテに、双血の教えの犠牲になった子供たち(孵ることのなかった卵たち)が沈められている、あの設定。あれは間違いなく、実際のマヤ文明が元ネタになっている。
メキシコのチチェン・イツァには「聖なるセノーテ」という泉があって、雨の神チャークへの捧げものとして、人や宝物がそこへ投じられていたらしい。そしてそのすぐそばにある地下貯水槽からは、生贄にされたとみられる百人以上の子供の遺骨が見つかっている。西暦600年から1100年ごろまで、五百年にもわたって続けられた儀式の跡だそうだ。(ちなみに、マムークで双頭を生むきっかけになった森の争いが始まったのも、ちょうど五百年ほど前のこと。そして双血の教えは、現代に至るまで、途切れることなく続いていた。)
しかも、この子供の生贄がとりわけ激しくなったのが、大きな干ばつがこの地を襲った時期だったという。雨が降らず、作物が実らない。その飢えと渇きのなかで、人々は雨を、実りを求めて、幼い子供たちを水の底へ捧げた。
そして、そのうち64人のDNAを解析したところ、犠牲になった子供たちは全員が男の子で、その中に2組の一卵性双生児が含まれていたらしい。
一卵性双生児が生まれる確率は、妊娠全体の0.4%ほどしかない。64人のうち2組というのは、偶然ではまず起こらない数字だよね。つまり彼らは、双子だからこそ選ばれた。
なぜ双子なのか。ここでマヤの聖典『ポポル・ヴフ』が出てくる。
この神話の主役は、フンアフプーとイシュバランケーという双子の英雄だ。しかも、彼らの生まれ方が普通じゃない。父であるフン・フンアフプー(彼もまた、弟と対になる双子として語られる)は冥界で殺されるんだけど、その死んだ父の生首が、娘の手に唾を吐きかける。ただそれだけで娘は身ごもり、双子の英雄が生まれてくる。交わりも何もない、いわゆる処女懐胎だ。そして生まれた双子は、冥界の神々を打ち負かし、最後には太陽と月になって天へ昇っていく。
マヤ文明にとって双子は、そんなふうに、普通の生殖の理屈を超えたところから現れる、神に連なる特別な存在だった。実際、あの地下貯水槽で双子が見つかったとき、研究者たちはそれをポポル・ヴフの英雄双子と結びつけて解釈しているらしい。地下の空間は冥界への入口と考えられていたから、そこに双子を葬るのは、神話をなぞる儀式だったんじゃないか、と。
ここまで来ると、見えてくるものがあるよね。マムークが双頭——ふたつの頭を持つ、二つでひとつの存在——を「祝福の兄弟」として崇め、それを生み出すために子供を犠牲にしてセノーテに沈める。これは、マヤの双子信仰と双子供犠を、かなり忠実になぞっているんだ。
それだけじゃない。飢えのなかで、実りを求めて、子供を犠牲にする——その切実さまで、そっくりなんだよね。日の届かない森の底で、乏しい実りに苦しみながら、それでも双頭という希望を求めて、孵らない卵を積み上げていったマムークの人々。渇いた大地で、雨を求めて、子供をセノーテに沈めたマヤの人々。どちらも、飢えた民が、救いを求めて、いちばん尊いはずの子供を差し出しているんだ。
つまり双頭とは、おびただしい数の子供の犠牲の果てに、ようやくこの世に現れる、神に連なる存在なんだよ。
双頭だから、じゃない。グルージャジャだから、だ
ここまで、双頭という存在が神話に連なるものだ、という話をしてきた。でも、双頭であることそのものが特別なわけじゃない、とも思うんだよね。
バクージャジャは、ウクラマトとの一騎打ちに敗れた。モラージャジャに至っては、遠いエオルゼアの地で、ヒカセンに討たれている。頭がふたつあるからといって、誰もが神のように特別だったわけじゃないんだよね。
じゃあ、グルージャジャは何が違ったのか。
彼は、それまで誰も成し得なかったトラル大陸の統一を果たした。憎み合っていた部族をひとつずつ訪ね、絆を結び、多民族国家トライヨラを打ち立てた。そして八十年、その平和を守り抜いた。
しかも、力で押さえつけたわけじゃないんだよね。彼は各部族の歴史を尊重し、その文化と伝統を保護した。征服者が普通やることの、まったく逆をやったんだ。人々に平和を与え、笑顔を与えた。
そして、彼の出自を思い出してほしい。
グルージャジャの故郷マムークは、深い森の底にあって、日差しがほとんど届かない土地だ。だから作物も育たず、人々は貧しかった。「太陽のもとへ」——これは、そんなマムークの人々が、諦めるな、顔を上げろ、と互いを励ますときの言葉なんだよね。
その日の差さない森の底から出てきた男が築いた国が、トライヨラだ。
ここで、あの国旗を見てほしい。トライヨラの旗に描かれているのは、双頭の蛇と、翼。羽毛ある蛇だ。マヤではククルカン、アステカではケツァルコアトルと呼ばれる神の姿だよね。
そして、そのケツァルコアトルが何をした神なのかというと——人々にトウモロコシを与え、書物と暦を発明し、工芸や技芸を教えたとされる。食料と、文化と、知識を人に与えた神だ。戦を好む神々とは対照的に、平和の文化を育んだ存在として語られる。
食料。文化。平和。……グルージャジャがトライヨラでやったことと、そっくりじゃないかな。
平和は、言うまでもないよね。部族抗争ばかりだったトラル大陸を統一して、トライヨラという平和な国を築いた。それこそがメインストーリーで語られる、彼のいちばんの功績だ。
文化もそう。彼は多民族国家を束ねながら、それぞれの部族の伝統や文化を、ちゃんと大事にした。(たとえば、こんなエピソードがある。建国当時、言葉もバラバラだったトライヨラのために、理王は公用語をつくった。でも、その文字は新たに作らず、あえてエオルゼアの文字を借りてきたんだ。もし公用語に対応した独自の文字まで作ってしまえば、それが「自分たちの言葉」になって、各部族が受け継いできた文化を上書きしてしまう。ヨカフイ族の絵文字とかね。だから、あえて「借り物の言葉」のままにした。そうやって、それぞれの部族の文化を守ろうとしたんだ。)
そして、食料。トライヨラの海には、理王魚という外来魚が放たれている。これは理王が、将来の食糧難に備えて、あえて放流したものなんだそうだ。まさに、民の未来の「実り」を用意した話だよね。
さらにケツァルコアトルは、明けの明星の神でもある。「夜明けの星の主」という称号を持ち、夜明けを司る存在とされる。
そして、グルージャジャの称号「連王」は、英語版では「Dawnservant」。夜明けの従者、という名前なんだ。
この「夜明け」、ただの飾りじゃない。そもそも黄金のレガシーの英題は「DAWNTRAIL」——夜明けの路。ウクラマトが二代目の連王を継ぐ式典のクエストも、「新たなる夜明け」というタイトルだ。この作品にとって「夜明け」は、新しい時代、新しい未来を意味する言葉なんだよね。
そして、それを最初にもたらしたのが、グルージャジャだった。
マムークの人々は、日の差さない森の底から、日の当たる世界を求めて戦い続けてきた。でも、戦争では、ついにそれを手に入れられなかった。それを終わらせたのがグルージャジャだ。彼は戦争そのものをやめさせ、かわりにトライヨラという国を築いて、そこへ移り住む道をひらいた。武力で日の当たる森を奪うのではなく、民が日の当たる土地で生きられる、新しい時代をもたらしたんだ。
日の差さない森から民を導き、夜明けをもたらした王。彼が「夜明けの従者」の名を冠し、羽毛ある蛇を旗に掲げているのは、やっぱり偶然じゃない気がするんだよね。
ついでに言うと、ケツァルコアトルにはショロトルという双子の兄弟がいる。明けの明星と、宵の明星。ここでもまた、双子なんだよね。
そしてもうひとつ。伝承によっては、ケツァルコアトルは人身供犠に反対した神として描かれる。……子供を生贄に捧げる双血の教えを捨て、故郷を出た男の話と、重なってこないかな。
ここまで来ると、グルージャジャという存在は、羽毛ある蛇の神話を下敷きにして造形されているんじゃないか、と思えてくる。
神話の英雄というのは、常人に成せないことを成す。それと同時に、常人とは違う生まれ方をするものだ。ポポル・ヴフの双子が、そうであったように。
だとしたら、あれだけのことを成し遂げたグルージャジャが、私たちの生物学の常識の内側にきれいに収まっているほうが、むしろ不自然じゃないかな。
平和を築き、文化を守り、食料を用意し、民を夜明けへ導く。……これ、ケツァルコアトルという神がなしたことと、ぴたりと重なるよね。
彼の生き方は、もはや英雄というより、神に近い。生き方がそれほど神の域にあった人なら、その体もまた、私たちの常識を超えたところにあったとしても、おかしくないと思うんだよね。
だからこれは、「双頭だから一人で産めた」という話じゃない。バクージャジャにもモラージャジャにも、そんなことはできなかっただろう。ただ一人、グルージャジャという規格外の個体だけが、両性具有という稀な体と、実際に子を宿せる機能を、両方持って生まれてきた。
だからこそ、彼は例外なんだ。
ただ、勘違いしないでほしいんだけど、「グルージャジャという神が、無から命を生み出した」なんて言いたいわけじゃない。彼はちゃんと、血の通った生き物としてそこに存在している。そうじゃなくて——両性具有の彼が、自分の精で自分の卵を受精させ、ひとつの卵を産み落とした。生き物として、その体の中で完結させた。ただ、それを可能にしたのが、彼という存在の神がかった特異さだった、という話なんだ。
(ちなみに、ゾラージャの誕生を知って、「なら双頭を交配させよう」とマムークが考えなかったのかな、とも思う。でも、たぶん考えなかった。双頭を渇望してきた彼らのことだ、それはとっくに散々試して、失敗してきたはず。だからこそ「双頭は子を成せない」が通説になった。グルージャジャの奇跡は、狙って再現できるものじゃなかったんだよ。)
そして、ここからが本題だ
正直に言うと、ここまでの神話の話は、「そんなことがありうるのか」という疑問に答えるためのものでしかない。可能性の話だ。
私がこの説を本命に据えている理由は、もっと別のところにある。この説だけが、作中の事実を、無理なく説明できるからなんだ。
思い出してほしい。この記事の出発点は、「母がいなさすぎる」という違和感だった。名前も、姿も、記録も、噂すらもない。あまりにも徹底した空白。
あの空白は、「隠された」だけでは説明しきれないと思う。
もし本当に母となった女性がいたのなら、その人は生きて、そこにいたわけだ。生まれた家があり、育った土地があり、その人を知る誰かがいる。ひとりの人間の存在を、まわりごと完全に消し去るのは、簡単なことじゃない。どこかに、必ず痕跡が残る。
でも、グルージャジャが自分で産んだのだとしたら、話が変わる。消さなきゃいけないのは「人」じゃなくて、「どうやって産んだか」という真相だけだ。関わる人間も、本人と、ごく一部の側近くらいに絞れる。少ない人数で固く口を閉ざせば、真相は封じられる。人ひとりを消すよりも、ずっと現実的なんだよね。
しかも、この説なら、説Aが抱えていた弱点も消える。相手の男性がいない理由を、わざわざ考えなくていい。だって、最初から誰もいなかったんだから。母も、父親役の男性も、存在しない。だから、痕跡がないのは当たり前。空白そのものが、事実なんだ。
母の痕跡がないのは、隠されたからじゃない。そもそも、消すべき人など、どこにもいなかった。それだけの話なんだよね。
どちらにせよ、母はグルージャジャだ
誰かに抱かれて産んだのか、ひとりで産んだのか。正直、どちらが正解かは分からない。でも面白いのは、どちらを採っても、結論は同じだってことなんだ。ゾラージャを産んだのは、グルージャジャ自身。「母」と呼べる女性は、最初からどこにも存在しなかった。
——ただ、ひとつ疑問が残る。グルージャジャは、なぜそれを、墓の中まで隠し通したんだろう。
5. なぜ、生まれ方を隠したのか
ここまでの話を踏まえると、ひとつ言えることがある。トライヨラの民は、たぶんゾラージャがどうやって生まれたのかを知らない。
もちろん、これは作中ではっきり語られたことじゃない。でも、こう考える理由はある。
民が知っているのは、「子を成せないはずの双頭に、子ができた」というところまでだ。それは奇跡として、国中に知れ渡っている。なのに、そこから先——どう生まれたのか、母は誰なのか——については、最初に書いたとおり、何ひとつ残っていない。
これだけの大事件なのに、肝心の部分だけが、ぽっかりと語られない。だとしたら、そこから先はグルージャジャが意図的に隠したんじゃないか、と考えるのが自然だと思う。
ただ、黙って伏せるだけじゃ、隠しきれない。「子を成せないはずの双頭に子ができた」なら、当然「じゃあ母は誰なんだ」と、誰もが気になるはずだから。その声を鎮めるには、ただ隠すだけじゃ足りない。
そこでグルージャジャは、こう考えたんじゃないかな。ここは完全に私の想像だけど、たぶん彼は、「いなかった母」を、いたことにしたんだ。
たとえば理王が、民にこう語りかける。
「この子の母は、自身が表に立つことを、かたく望みませんでした。それが、あの人の最後の願いだったのです。ですからどうか、その名も、面影も、そっとしておいてはもらえないでしょうか」
本当は、母などいない。でも、こう言われたら、民はどう思うだろう。この子の母は、人前に出ることを望まない人で、連王はその心を大切に守っている——そう受け取るよね。あれだけグルージャジャを慕う民たちが、そこまで言われて、無理に母を探そうとするだろうか。しないと思う。
いもしない母を、「本人が望むから、そっと触れずにおくべき人」として演出する。母の不在は、こうして優しさのベールで覆い隠されていったんじゃないかな。
じゃあ、そもそもグルージャジャは、なぜそこまでして生まれ方を隠したんだろう。私は、いちばん大きいのは「倫理の問題」だったと思う。
双頭には「祝福の兄弟」という呼び名がある。この呼び方が示すとおり、あの地の人々にとって双頭は、ひとつの体でありながら、一人ではなく「二人」なんだよね。理王と武王という、二人の人格。二つの魂。
だとすると、どうなるか。
ゾラージャが「理王と武王の子」だと知られてしまえば——それは、兄弟同士から生まれた子ということになる。近親相姦の果てに生まれた子だと、受け取る人がいてもおかしくない。
さっき、トライヨラは価値観のおおらかな国だと書いた。男性が男性に抱かれて子を産むことすら、あの国なら受け入れられたかもしれない。でも、近親相姦だけは話が別だと思う。あれはどんな文化圏でも、根深いタブーとして扱われるものだから。
大陸を統一し、平和をもたらした偉大な英雄が、「倫理を踏み越えた存在」として糾弾されれば、それは国を揺るがす火種になりかねない。だから、隠すしかなかったんじゃないかな。
だから彼は、墓まで持っていった
この秘密は、明かせなかった。グルージャジャは、それを胸の奥に秘めたまま、生涯を終えた。真実を知るごく一部の者たちも、彼とともに、固く口を閉ざし続けたんだろう。
6. 「青い鱗」は、何を証明していたのか
ここまで「グルージャジャがひとりで産んだ」という話をしてきた。でも、そもそもの疑問がある。トライヨラの人々は、なぜゾラージャを疑いなく「連王の子」だと信じたんだろう。
その根拠としてよく挙げられるのが、彼の姿だ。グルージャジャは、武王がフビゴ族、理王がブネワ族。作中でもエレンヴィルが、「武の頭の顔立ちに、理の頭の鱗を持ち合わせている。だから奇跡の子だ」とヒカセンたちに説明している。
本来、フビゴ族の鱗は茶色い。青い鱗のフビゴ族なんて、ゾラージャしかいない。だからこそ、あの姿こそが「連王の血を引く証」とされたわけだ。
でも、正直に言うと、これは血縁の証明としては、けっこう穴だらけなんだよね。
というのも、この特徴だけなら、理屈のうえでは、ブネワとフビゴの親から生まれた子でも説明がついてしまうから。
双頭は、ブネワとフビゴの掛け合わせから、ごくまれに生まれてくる。でも、その多くは孵ることさえない。だとしたら、その中間みたいな子——双頭にはなりきれなかったけど、両親の特徴を受け継いで、それでも生きて生まれてきた個体だって、いたんじゃないだろうか。ちょうど、ゾラージャみたいな姿の子がね。
もっとも、そんな個体は作中に一人も登場しない。ブネワとフビゴの子は双頭としてしか生まれてこられない、という可能性だってある。そこは正直、分からない。
でも、もし「双頭になりそこなった子」が生まれうるのなら——ゾラージャは、グルージャジャの実子じゃなくて、どこかのブネワとフビゴの親から生まれたそんな子を、養子として迎えただけかもしれない。そういう可能性が、理屈のうえでは残ってしまう。
冷静に考えたら、この見た目だけじゃ、血の繋がりを証明できてはいないんだ。プレイヤー目線で「青い鱗=実子」というロジックがどこか弱く感じるのは、まさにこれが理由だと思う。
……とはいえ、ゾラージャが養子だという線は、私は採らない。だってゾラージャとウクラマトは、きれいに対になるよう描かれたキャラだから。血の繋がりはあるのに家族になれなかったゾラージャと、血は繋がっていないのに家族になれたウクラマト。この対比は、黄金のレガシーの中で二人を語るうえで欠かせない肝だと思う。ここで「実はゾラージャも養子でした」とやったら、その対比が根本から崩れてしまう。だから彼が実子なのは、物語上ほぼ動かせない前提だと考えていい。
つまり、青い鱗は証拠としては弱い。でも彼が実子であること自体は、ほぼ間違いない。
でも、ここで引っかかることがある。弱い証拠しかないのに、トライヨラの人々は、誰ひとりゾラージャの出自を疑わなかった。作中でも、彼を実子だと疑う描写は、ひとつも出てこない。いくらグルージャジャが慕われていたとしても、国じゅうの誰もが無条件に信じた、というのは、ちょっと不思議だよね。なぜ、疑いの声は上がらなかったのか?
答えは、トライヨラという国の成り立ちにあるんじゃないかな。
グルージャジャは、対立し合う部族をひとつずつ巡って絆を結び、この多民族国家を築き上げた。その旅の仲間たちの中には、今も長として部族を率いている者もいれば、すでに亡くなって次の世代が跡を継いでいる部族もある。それでも、連王への信頼だけは、変わらず受け継がれている。つまりトライヨラって、各部族の長がグルージャジャを信頼することで成り立っている国なんだ。
だとしたら、こうも考えられる。グルージャジャは「自分が産んだ」なんて言わなかっただろうけど、王子の誕生を祝いに、かつての戦友たちが一度はトライヨラを訪れたはずだよね。そこで彼らは、グルージャジャがゾラージャを我が子として慈しむ姿を目にした。その姿を見て、「これは本当に連王の子なんだ」と感じ取ったんじゃないかな。そして長が信じるなら、その部族の民も信じる。そうやって信頼は連鎖して、国じゅうに広がっていった。
それに、ゾラージャ自身も、子供の頃から必死に「奇跡の子」であろうとしていた。連王の血を引く者として民が期待する振る舞いを、体現し続けていたんだ。(このあたりの話は、前に書いたゾラージャの記事で詳しく掘り下げてる。)その姿もまた、「彼は間違いなく連王の子だ」という空気を、より強固にしていったんだと思う。
そしてこれは、ゾラージャの一生を貫く呪いの、原型でもあると思うんだよね。
彼は生まれた瞬間から、「青い鱗」という記号だけで奇跡の子と見なされた。本当はどこから来たのか、一体何者なのか。誰もそれを見ようとはしなかった。
肩書きだけを見られて、中身を見てもらえない。彼の地獄は、生まれたその瞬間から、もう始まっていたんだ。
7. そして、これがゾラージャの孤独の根になる
長々と書いてきたけど、私の考えをまとめると、こうだ。
ゾラージャの母は、最初から存在しなかった。彼を産んだのは、父グルージャジャ自身。そしてその出生は、固く秘密にされた。
じゃあ最後に、この出生の秘密が、ゾラージャという人間にとって何を意味したのかを考えたい。彼がああなってしまった理由は、きっとひとつじゃない。いろんなものが積み重なった結果なんだと思う。でも、この出生の秘密は、その深いところにある要因のひとつなんじゃないかと、私は思ってるんだ。
考えてみてほしい。誰だって、幼い頃に一度は思うはずだ。「僕のお母さんは、どこにいるの?」って。
ゾラージャも、きっと探しただろう。父に聞いても答えは返ってこない。周りの大人も口を濁す。記録を探しても、何も出てこない。名前も、姿も、痕跡も、何ひとつない。誰かに愛されて、誰かの胎から生まれてきたという当たり前の実感が、彼にはどこにもなかった。
そこで彼は、悟ってしまったんじゃないかな。自分は「父と母の愛の結晶」なんかじゃない。何か、隠されるべきものとして生まれてきたのかもしれない、と。
この実存の不安が、彼の生き方の根っこにあったんじゃないかと、私は思う。
そしてもうひとつ。もし彼が、自分の出生の真実にたどり着いていたとしたら——つまり、「自分は、父が一人で生み出した存在なのだ」と知ってしまっていたとしたら。それは、どういうことになるだろう。
自分は、父という完全なオリジナルから分けられただけの、複製にすぎない。しかも、その複製は父と違って双頭ですらない。二つあるはずの頭が、ひとつしかない。父の完全さを受け継ぎ損ねた、劣化コピーだ。
生まれながらに、自分は父の出来損ないでしかない。そんな強烈なコンプレックスが、彼の奥底にあったとしたら?
——なら、本当の「奇跡の子」になろう。
生まれ方が奇跡だったんじゃない。生き方でこそ、奇跡と呼ばれる存在になろう。父を超えることで、自分はなり損ないなんかじゃない、自分は自分なんだと証明しよう。彼がその一点に人生のすべてを賭けたのだとしたら、あの生き方も、あの最期も、少しだけ違って見えてくる気がする。
……まあ、全部妄想なんだけどね。でも、こういうことを考えるのが楽しいんだよね。
母のいない王子。その空白に、私はこんな物語を見た。そういう解釈もあるんだなぁと、少しでも楽しんで読んでもらえたなら嬉しいな。
そして最後に。この記事はゾラージャの「出生」だけに絞って書いたけど、これは冒頭にも貼った記事(黄金のレガシー振り返りまとめ記事)から派生したものなんだ。
いわばそっちが"本体"だね。
そっちでは、ゾラージャやグルージャジャについて、もっと深く掘り下げている。たとえば、
- バカにされがちなあの「食の試練」に込められた、理王の真意
- 継承の儀は、実はゾラージャの"更生プログラム"だった説
- 「ゾラージャは黄金郷の扉を、本当は開けていない」という解釈
こういうのを書いてる。興味があればぜひ読んでみてね。
【おまけ】マムージャとサハギンは、近縁なのかもしれない
ここからは完全に余談。本筋とは関係ないんだけど、調べていて面白かったので、書かせてほしい。
マムージャ族とサハギン族って、実は近縁なんじゃないか——そう思ってるんだよね。
私はFF11を遊んだことはないんだけど、調べてみたら、こういう設定があった。FF11のマムージャ族は、いくつかの氏族から成る種族で、その内訳は、戦士のフビゴ族、賢士のブネワ族、騎士のドプロ族、そして水士のモゼヤ族。この四つだ。このうち水士のモゼヤ族が、サハギン族とそっくりな外見を持っていて、でも設定上は、あくまでマムージャ族の一員とされていたらしい。
ただ、そのモゼヤ族の見た目は、正直、思いっきり魚なんだよね。同じマムージャ族といっても、他の氏族とはかなりかけ離れた姿をしている。
ところがFF14では、逆のことが起きている。マムージャ族からは、水士モゼヤがいなくなった。フビゴ族・ブネワ族・ドプロ族はいるのに、モゼヤ族だけがいない。そのかわり、サハギン族が別の種族として独立している。
しかも、独立したはずのFF14のサハギン族は、なぜか外見がマムージャ族に近づいているんだ。マムージャにヒレをつけたら、ちょうどサハギンになる、みたいな姿になっている。かつてはかけ離れていた二つが、種族としては分かれたのに、見た目はむしろ似通ってきた。だとしたら、この二種はやっぱりどこかで繋がっているんじゃないか——そう思えてくるんだよね。
そして、近縁だと考えると、もうひとつ面白いことに気づく。
サハギン族には、「女王」と呼ばれる特別な個体がいる。産卵を担うのは、この女王ただ一体。しかもこの女王、通常のサハギンとは似ても似つかない、巨大な体を持っているんだ。ぱっと見じゃ、同じサハギンだとは分からないくらいに。
……この「通常個体とはかけ離れた、巨大で特別な存在」って、どこかで見たよね。そう、マムージャ族の双頭だ。
女王はメスで、双頭はオス。産む女王と、子を成せない双頭。役割はまるで逆なんだけど、「群れのなかに、ただ一体だけ現れる規格外の存在」という点は、よく似ている。近縁の二種が、それぞれにそういう個体を抱えているっていうのは、なんだか面白いよね。
まあ、だからどうした、という話でもあるんだけど。こういう符合を見つけると、なんか嬉しいよね。
【最後に】なんでこんなに本気なのか、って話
ここまで、生物学だのマヤ神話だのを持ち出して、二万字近くかけてひとりの男の出生を考えてきたわけだけど。
……なんでこんなに本気なの、って思ったよね。
SNSでもnoteでも散々公言してるけど、私は、ゾラージャとグルージャジャの夢女だ。彼らのことが、どうしようもなく好きなんだ。
好きだから、知りたい。彼がどんな体で生まれて、どんな秘密を抱えて、どんな孤独を生きたのか。その全部を、隅々まで知りたいんだ。この気持ちだけは、誰にも負けない。……テーシャジャにすら、負ける気がしない。
だから図書館で本を借りてマヤ・アステカの資料を漁るし、神話の本も読む(『ポポル・ヴフ』、ガチで読みにくかった。家にあった古い訳のせいかな。新しいのを探そうかな)。マヤの子供の生贄やラバの繁殖記録まで調べるし、双頭の性染色体で一晩考え込んだりもする。傍から見たら、キモオタだと思う。でも、好きな相手のことなら、どこまでだって知りたくなるでしょ。それと同じなんだ。
もちろん、ここに書いたことは、全部ただの妄想だ。公式設定でもなんでもない二次創作。明日にでも公式が「ゾラージャの母はこの人でした」って言い出したら、この二万字はぜんぶ水の泡になる。
それでも、いいんだ。
だって、こうやって彼らのことを考えている時間が、私はどうしようもなく幸せだから。空白を見つけて、そこにありえたかもしれない物語を描いて、「こうだったんじゃないか」ってひとりで興奮する。至福の時間だよ。
FF14をやっていて、人生が変わるレベルで推せる相手に出会えたのは、本当に奇跡だと思う(そのせいでケモナーじゃないのにマムージャのエロ同人にまで手を出したんだけど、その話はまた別のnoteに書いてる)。黄金のレガシーが世間でどれだけ賛否あろうが、私にとっては間違いなく神ゲーなんだよ。こんな深い沼に落としてくれて、感謝しかない。
もしあなたも、ゾラージャやグルージャジャのことが好きで、ここまで読んでくれたなら。私たちはたぶん気が合う。あなたの解釈も、いつか聞かせてくれたら嬉しい。
じゃあ、また。次の妄想が湧いたら、書きに来るね。